皆さんこんにちは、ダメリーマンのアベです。

先日、アマプラにある映画JOKERを見ました。

色々と話題沸騰していたJOKERですが、僕が見た感想はとても面白かったです。

さて、では今回は僕がJOKERを見た感想と僕なりのJOKERという作品に対する考察をしていこうと思います。





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1.JOKERを見た感想


まず最初に、JOKERの考察ではなく、僕が始めてJOKERを見た率直な感想について話して行こうと思います。


先程言いましたが、とても面白かったです。
笑えるとかそういう面白さではなく、アーサー(主人公)がどんどん狂気に取り憑かれていく様子に惹き込まれました。


アーサーは幼少時の虐待等もあり、強制的に笑う精神病を患っていました。

アーサーの住む街でも、貧富の格差はものすごく、差別も平気で行われていました。
ここら辺は現代も一緒ですね。

さて、そんな弱者であるアーサーはとても優しい性格の男でコメディアンを目指して母親と同居していた心優しい男でしたが、次第に狂気に染まり始めます。

差別され、笑われ、普通の人と同じようにしろと強制され続け、どんどんとアーサーの心は壊れていきます。

しかしそんなアーサーが壊れていく様は誰も分かりません。
だっていきなり笑う異常者扱いですから。


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冒頭のバスのこのシーンが周囲のアーサーへの見方が分かります。

精神病の方への健常者の反応はいつの世もこんな感じではないでしょうか。

視聴者へはアーサーの心の叫びと悲しみが痛いほど伝わって来ますが、現実世界で
それを知ってアーサーに優しくしてあげる人間は居ませんでした。

そしてアーサーは病院で銃を落とした理由でピエロの仕事をクビになります。

アーサーはピエロで人を笑顔にする仕事を愛していましたし、生きがいでした。
人に笑われるのではなく、人を笑わせたいという考えがアーサーにはあったのですが、そのただ一つの心の支えも無くなりました。

そして帰りの電車の中、勝ち組会社員に囲まれてボコられて、アーサーはとうとうブチギレて3人を射殺します。

アーサーは悲しくて辛くて苦しい時ほど笑ってしまいます。
その病気が引き金となった悲劇です。
何から何まで悲劇的な話です。

ここからこのニュースが連日報道され、勝ち組人間を謎のピエロが射殺した事でアーサーが鬱憤が溜まった市民から讃えられ始めます。

そしてアーサーは始めて人に認められ、承認欲求が満たされ、そして肥大化して行きます。
また、裕福な人を殺すことでウケると思い、その事で人を笑わせて自己の自信も満たしていくわけです。歪みきってしまいました。
そして笑わせる為に、自己を満たすために人を殺していくという行動を取り始めます。

その結果アーサーはJOKERに変貌を遂げます。

アーサーの今までの幸せな時間は全て妄想であった事から、完全にぶっ壊れます。

感情のまま、思うままに鬱憤を晴らし始めるのです。

そして物語終盤、マレーの番組に出演し、マレーを撃ち殺します。

そしてJOKERは街のダークヒーロー的な英雄になり、JOKERとしてゴッサムシティ(仮)の悪役として君臨し続けると事になるわけです。


この作品を通して、僕はひたすらアーサーに対して同情の念を抱きました。

持病がある事の苦しさ、空気が異常に読めない等人と違うだけでこんなに世間に認められずに生きづらいのだとすごく哀しい気持ちになりました。

人と違うというだけで差別され隔離され断絶される。
弱者側の気持ちから狂っていく様が分かる作品でした。

世の中の犯罪者もこういったバックグラウンドがあるのでしょうか?
そういった事を考えさせられた、そんな作品でした。

犯罪で悪いのはもちろん犯罪を犯した人間ですが、それに至った経緯は本当に本人だけが悪いのでしょうか?

アーサーは善人ですが、周りの環境によって狂気に飲み込まれました。

人が周りの環境によって狂っていく様からも色々と考えることがある作品だなと感じました。

久々に魅入った作品です、役者の演技も素晴らしく、エンターテインメントとして完成されていたと思います。

鬱屈した感情の爆発というものがこの作品の見どころではないかと思いました。



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2.JOKERの考察

お次は考察です。

結論から言います。
おそらくですが、ラストのシーン以外ほとんどが妄想です

しかしこの作品の怖いところは、どの部分が本当でどの部分が現実か分からないところなんです。

もしかしたら、ラストシーン以外の全てがアーサーの妄想なのかもしれません。




以下トッド監督が話した内容原文

あのシーン(ラスト)だけが、彼が唯一純粋に笑っている場面です。この映画には、いくつかの笑い方が登場します。アーサーの苦しみから生まれる笑い、彼が大勢の一員になろうとするときの偽物の笑い――これが僕のお気に入りなんです――、そして最後にアーカム州立病院の部屋で見せるのが、唯一、彼の心からの笑いなんですよ。


というように、アーサー(JOKER)は哀しい時、辛いとき、苦しい時しか作中では笑っていませんでした。

しかし、最後の最後、病院で心から笑ったというわけです。

作中の話が全て妄想だった場合、JOKERはこれからそれを実行するつもりなのかどうかは分かりませんが、JOKERは最後にカウンセリングの医師を殺しました。
これは現実です。JOKERの誕生と言えるでしょう。

ここからのJOKERがどうなっていくのかというと、ダークナイトに出てくるJOKERのような存在になるのだと思います。

しかし、この作品のJOKERはバットマンの作品の文脈とは関係が無いなどと監督は言っていますが、どうなのでしょうか?
トッド監督は現実のキャラクターと言っています。


そこで疑問になってくるのがそもそも本作の話は誰の話?ってなってくるのですが、ラストの男は本当にアーサーという人間だったのでしょうか?
アーサーという存在自体JOKERが作り出した妄想なのかもしれません。

結局JOKERという存在がアーサーなのかどうかも分かりません。
妄想によってさらに謎のベールに包まれたという結果になります。




JOKERは環境次第で誰にでもなりえる。
そういった事を暗に揶揄するような印象を僕はこの作品から受けました。







       
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